こんにちは。
最近いろいろなところでいわれる英語ブーム。
英語ブームと言われるだけ言われて単純に英語を学んでみようと思う人。
なんかそれ流行ってるなーとあくまでも傍観者的立ち位置の人。
本当に色々な方がいるかと思う。
英語に全く興味がない方は英語に対し興味の持ちようがないのでしょうがないかと思うが、せっかく英語を学ぶきっかけを得られた方は英語ができることでどんなことが自分に起きるか知りたくないだろうか。
今回は英語ができることでどんなメリットがあるかを説明することにする。
まず1 つ目のメリットは英語を話すことで話す相手を選ぶ必要がないことだ。
日本語しか話せない場合はどうしても日本人としか基本的には会話ができない。
会話ができないということは、せっかくの楽しむ場を満足に楽しむことができないということ。
特に日本語しか話せない限りは海外の人と一瞬のスモールトークを楽しむことすら不可能に近い。
よくバーに行くと海外の方がたくさんいたり、話しかけてくれる方もいたりする。
そこで英語ないしその場にあった言語を話すことができればそこから交流の輪が広がる可能性がある。
そういった場所で出会った人たちはその場限りの一期一会の関係であるかもしれないのに、その貴重なチャンスを逃すことになってしまう。
その一瞬一瞬を楽しむことが自分の人生をより輝かせる第一歩だと思う。
自分自身の価値観が変わる
続いて2 つ目のメリットについて。
英語を学習しない限り絶対に理解不能なのだが、英語を話し続けることで自分の中での価値観が変わる。
人それぞれの価値観は一緒にいる人たちの刺激を受けあって常に変化するものだ。
例えば学生の頃に転校生が来たとする。転校生を受け入れる側は転校生が一人増えたとしてもただ一人増えた程度で何も変わらないだろう。
ただ一方で転校生側の立場からしたらどうだろうか。
転校生は完全に新天地に一人で乗り込むわけで時には自分の常識すら通じないことも十分にあり得る。
新しい場所で生活するためには、そんな全く異なる価値観を結果として受け入れる必要がある。
もう少し具体的に記載してみる。
例えば今までずっと田舎に住んでいた人(A 氏) がいきなり大都市へやってきたとしよう。そこでできた友達は当たり前のように毎日買い物や映画、カラオケとか言っている生活が当たり前であれば、それが彼らの常識であり、そういったところでの経験が彼らにとってのバックグランドとなる。ただ当然A 氏から見ると全く普通の光景には映らずにただただ毎日驚くことばかりの連続だと思う。今までの自分の価値観と彼らの価値観が融合することでまた新しい自分の価値観ができる。
これを英語学習に水平展開してみる。
英語を能動的に学習するということは新天地に一人で乗り込むことと同義だと考えている。
何を学習するにも常に不安が付きまとい、時に挫折する。
そんな中同じ方向性を持った方と話す機会があったとすれば、その方々といろいろなお話を通じてこういう考え方もあるんだだったり、意見や考え方を共有することができる。
つまり新たな価値観を受け入れることになる。
さらには英語学習を通じて海外の方と話してみると更に自分自身の価値観が大きく変わる可能性を秘めている。
海外で生まれ育った人は当然ながら日本人とそもそも異なるバックグランドを持っている。
それ以外にも国が違えばまず言葉が違う。
育った環境なんて当然異なるし、食文化も違えば、宗教まで違う。
テニスでは有名な話だが、テニスの試合中に悪口を言ってはいけないそう。
ただ日本語での悪口は諸外国に比べると圧倒的に少ない。
そこにどんな背景があったのかまではわからないが、日本語に訳すこともできない言葉というものがかなり存在する。
そんな人たちと話し共感したまには喧嘩したりすることで自分の中の価値観が変わることは明朗だろう。
実際に筆者も様々な方と意見交換をしすぎて価値観が前とは比べ物にならないくらい変わりすぎていて既に前の自分を忘れつつある。
少し大げさな話ではあるが、その価値観が常に変わっていくことこそが楽しく、もっといろいろな世界を見られたらと思っている。
またそんな価値観が変わることの楽しさを伝えられたらと思う。
自分自身のキャラクターが変わる。
英語を過信しすぎてはいけない
今までいいところだけ述べてきたが最後に一言だけ。
今までは英語を話せることで自分自身に起きるメリットばかりお伝えしてきた。
但しその恩恵を受けるためには英語は単なる言語だと認識することが重要。
何が言いたいかというと英語が話せるからいろいろな人と話せるようになるのではないということ。
少しわかりにくいのでかみ砕くと、日本人通しでもこの人とは話したいなとか話したくない人などもいるだろう。
つまるところこの人は面白い人だ、だったりこの人といると安心するなど自分のキャラクターを伝えて仲良くなならない限りは今まで述べてきたことの恩恵は受けられない。
英語は所詮言語であり、言語以上の何物でもない。
言語があるからこそ人は何かを人と共有でき共感ができる。
そういう意味で言語は人を互いに引き付けるための道具なのでそこだけは注意してほしい。
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